私は、元々、学者でして、政治家になろうという気はほとんどありませんでした。その為、いくつかの政党から声をかけていただいたのも全て断っておりました。きっかけになったのは2009年の選挙で民主党が「政治主導」を訴えていたことです。
いくつかの政府委員会や研究会に参加してきたのですが、その中に防衛省の防衛戦略研究会というものがありました。その委員会は、防衛大綱や中期防衛計画の見直しをする場所なのですが、そこで私は「今の防衛大綱では日本を守ることは出来ないのでやめたほうがいい」ということをずっと訴えていました。
なぜかというと、実は日本は防衛省だけが守っているわけではないからです。もちろん柱は防衛省の自衛隊なのですが、それだけではなく、例えば、対北朝鮮だけを見てみても、核問題やミサイル問題に関しては、国連の安全保障理事会や6者協議にかけるため外務省が、拉致問題に関しては、内閣や警察が、拉致解放の見返りとして検討し得るODAに関しては財務省や経済産業省が、といったように全日本で日本を守っているのです。
しかし、防衛大綱を作成するのは防衛省の所管です。これで本当に日本を守れるのでしょうか?そうは思いません。縦割りの弊害で人の命が損なわれるのは許されないことです。そのため、強く反対をしていたのですが、委員会には御用学者も多く、結局いつも「素晴らしい意見を有難うございます」の言葉で終わってしまっていたのです。
もう一つ例を出せば、小泉政権時代にイラク戦争がありましたね。その際に国会に参考人として呼ばれたことがあり、「イラクの大量破壊兵器は国際社会にとって脅威になりえない」とデータを用いて説明したにもかかわらず、結局はその流れを止めることはできませんでした。政権にとって都合の悪い政策や意見は取り入れられません。
そうした状況で、学者として無力感を感じている中、政権交代を果たした民主党が掲げていた「政治主導」が実現されるならば、何か出来ることがあるかもしれないと考え、公募という形で立候補し、当選することができました。
最初に取り組んだ仕事は、なんと議員になるきっかけとなった、防衛大綱の党側におけるドラフト作りでした。選挙に受かった頃がちょうど大綱の取りまとめの時期だったのです。
もともと、日本の防衛は「基盤的防衛力構想」という思想に基づいていました。これは特に旧ソ連を想定したもので、どこから敵が来ても水際で止められるように各地に戦力を配置するというものなのですが、今ではそのような状況は想像しにくいです。そういったものよりも例えば尖閣などの地域紛争に対処しなければいけなかったり、先の震災のような災害派遣に対処しなければいけなかったりと、防衛に求められるものは変わってきています。
その為、この大綱には「動的防衛力」というものを盛り込みました。陸空海の統合的な、動的な運用を目指すものです。また、経済産業省所管である「武器輸出三原則」や、内閣官房所管である「NSC(国家安全保障会議)」など、縦割り行政の中で防衛省所管以外の重要な安全保障政策の柱となるべき、学者のときに悩んでいたことの多くを盛り込むことができました。
国防というのは政権が変わったとしても、重要性は変わりません。縦割りやしがらみからの弊害により、救われるべき命が救われないということはあってはならないのです。
これは、菅総理も問題意識として持っていたことなのですが、大事な情報ほど縦割り行政の壁に阻まれて共有されないという問題がありました。それぞれの省庁はきちんと情報を持っているのにそれがうまく活かされないのです。
例えば、北朝鮮がミサイルを打つとなったとしましょう。その第一報は安全保障戦略を決めるNSCで入り議論をなされ、警察や公安には朝鮮総連の動きを調べさせたり、外務省には北朝鮮とも近いモンゴルにおける情報を収集させる等、明確な「情報要求」がなされる必要があります。しかし、現在は政府が各省庁に対し「北朝鮮情勢について調査せよ」と一般的な要求をおこない、各省庁がそれぞれに都合のいいつかみやすい情報を伝えるのが現状です。情報要求を各省庁に明確に、的確に出し、それを政府として評価をしたうえで政権中枢に伝える仕組みを作る必要があります。それを実現させるために、情報改革に取り組んできました。
また、大震災をうけて去年の5~7月に全省庁のBCP(事業継続計画)の見直しをさせました。平成7年の中央防災会議に提出された各省庁ののBCP全てに目を通したのですが、いつか必ず起こりうる首都直下の大地震があった際に救うべき人、救われるべき人が救われない適当なものでした。
日本は、首都に人口が集まっているので、同じ規模でもほかの場所で起こった場合より、被害は大きくなります。また官公庁も首都に集中しているので大変なことになります、救う側の人間が機能しない可能性すらあります。
気象庁は震度5以上の地震が起きると全員が集まるようになっています。その気象庁のBCPによると首都直下の大震災後3時間で何%の職員が集まることが出来るかというと、5%と想定しています。これは経験に基づいた数字ですね。その5%何ができるかを考えております。ところが警察庁は3時間後には70%そして12時間後には100%集まると書いていたのです。全ての警察庁職員は何があっても死なず、12時間後には必ず警察庁にたどり着くようです。
これも、実は縦割りの弊害で、各省庁に統一したBCPのあり方が共有されていなかったが故の問題なのです。何人集まれるならその範囲で何をする、という考え方であるべきなのが逆になってしまっているのです。これをしなければいけない、ならばこれだけいなければ無理なのではないか?と上から言われれば人数を修正するしかありません。しかし、大事なのは「本当に集まれる人数で、その範囲で何が出来るか」ということです。縦割りの弊害によって命が失われることはあってはなりません。
また、このBCPを実施できる体制がない事も大きな問題です。ある省庁のBCPの担当官を読んで聞いてみても、具体的なことを覚えておらず、紙をみて調べながら答えたりするのです。これでは実際に震災が起きた際に使い物になりません。官邸が潰れると、その後は内閣府の5号館、その後防衛省、そして立川の防災センターと本部が移っていきます。その防災センターを見てみたのですが、週二回警備員がチェックをするだけなのです。実際に事が起きた際には、まず電気はどうつけるのか、パソコンはどう使うのか、などといったところから始めなければいけません。
他の省庁も、そういったバックアップを定めてはいるのですが、細かいチェックがなされていないため穴だらけなのです。これは「想定外でした」では済まされない問題です。そこで全省庁に強く働きかけを行い、再度BCPのチェックをさせました。さらに大阪に、首都が機能しない際のバックアップを作るという計画も進めて予算までつけたのですが、申し訳ないことに政権を降りてしまったので、実現には至りませんでした。
そのほかの仕事としては、警察行政や外交、エネルギーは特に化石エネルギーに関して取り組みをいたしました。
なぜでしょう…。かつての政権は、定められた報告さえ行えば、形さえ整えば役人の言いなりだったからでしょうね。政治主導の政権になって、やっと変わり始めるきっかけができたんだと思います。決して格好をつけたくはないのですが、疑問に感じたことはやらざるを得ないでしょう、大震災があったあとの今は特に、人の命をどれだけ救えるかが政治家の役割だと思っています。
ただ、たしかに選挙のために仕事をしている人がいるのも事実ですね。「地元で顔が見えない」なんていう批判も聞こえることがありますが、地元活動よりも有権者の想いに応えるためには、国会で必死に政策を実現することが必要だと思います。
よく、外交で政治家が使う言葉に「毅然たる態度で~」という言葉がありますが、私はその言葉は評論家が言いっぱなしにするならばともかく、政治家が発するにはあまりに無責任であると考え、使わないようにしています。票を獲得するにはたしかにインパクトのある言葉なのかもしれませんが、本来政治家は「毅然たる態度をとるための制度をつくる」ことや「毅然たる態度をとったあとの影響」について責任を持てるような仕事をするべきだと思います。
残念ながら、今の日本は政治家、マスコミ、国民が負のスパイラルを作り上げていると思います。政治家は国民受けするようなことをし、マスコミは面白い部分だけをとりあげます。そして国民はそういうものを受け止めてしまう、面白い部分だけをピックアップしてしまいます。国民は知らなければ判断できないのでしょうがない、マスコミは商売だから受けるものを発信する。この二つはしょうがないかもしれません。勇気をもってこのスパイラルを断ち切るのは政治家しかいません。
評論家のような、票稼ぎのための発言も、地元へのアピールも必要ありません。本当にやるべきことをやる。それで落ちてしまうのならそれはそれでいいのかなとさえ思います。
経済は生き物ですので、景況感を出すことは重要です。景況感を出しているという限りにおいては評価もできます。ただそのなんとなくの感じを現実の経済に結び付けられるかどうかが大きな問題です。
アベノミクスがどう転ぶかは、海外の景気しだいだと思っています。円安になるということは海外から見ると日本製品の単価が下がるということですね。これを受けて、海外で沢山のものが売れれば、日本にお金が入って景気は良くなっていくと思います。しかし、輸出量の拡大にまで至らなければアベノミクスは失敗に終わるでしょう。2000年代前・中盤の円安の時には中国の経済成長で輸出量が増えたから、景気が上向いたのですが、現在は日本の輸出を大きく拡大する受け皿はなく、また経済活性化の相手にすべき中国を安倍政権は刺激し、逆のことをやっているのが現状です。輸出量がついていかずにコストばかりがどんどん上昇してしまえば、アベノミクスは失敗し、国民の生活は苦しくなるばかりでしょう。
個人的には賛成ですが、よく叫ばれているように「TPPが日本を良くも悪くも大きく変える」なんてことはないと思います。魔法の杖でも悪魔の鞭でもありません。
かつての貿易は二国間で行われていた「電話」のようなものでしたが、GATTやWTOは全体を相手にするマスメディアでした。ところが、この全体を相手にする仕組みは行き詰まりを見せました。TPPのような多国間の経済協定は「Facebook」のようなもので、入るときにはルールがあります。そこに入っていなければほかのユーザーと関わることもできません。また、今、日本がTPPに参加すれば、世界経済の半分以上を凌駕する規模のものとなり、さらにルールを作れば、あとから参加してくるプレイヤーから、いわゆる「ショバ代」を払わせることができます。
農業にとっても、TPPはいいものだと思います。消費者にとって選択肢が増えることはプラスになります。お金を持っている人は、どれだけ高くても日本産の米を食べるでしょう。逆にお金のない人はさらに安く米を手に入れることができます。現状のように、高い米しか買う選択肢が無く、やる気のある生産者はともかく、まんべんなく生産者に対し消費者が高い米を買って補助を行い、あるいは生産性の上がらない米の種類を敢えて作るような構図は、変更される必要があります。
TPPは、日本の農業を攻めの農業に変えるチャンスです。今までのビーフ、オレンジ、アメリカンチェリーなどの輸入が自由化された結果を見てみると、当初、税金で保護された和牛は値段が上がりましたが、ほとんど政府が手を差し伸べなかった日本のみかんは品質が向上して生き残り、サクランボに至っては品質どころか生産量まで増大しているのです。放っておいても悪くなる一方の農業なので、これをいいチャンスだと思って積極的に打って出るべきではないでしょうか。
尖閣の領土問題は中国による内政問題の外への転嫁であると思います。かつてはその矛先は台湾に向いていましたが、今はそれが専ら日本に向かってきています。それに対して日本は3つの点を心がけるべきです。
ひとつは「マルチ(複数の国)で中国を追い込むこと」
国際海洋法など、国際社会のルールを盾に味方をつくり立ち向かう必要があります。
二つ目は「アメリカに、アメリカの利益で関与させること」
尖閣問題はもちろんアメリカも気にしていることなのですが、アメリカ国内の認識もふたつに分かれていて、ひとつは「日中の問題だろう?」というもの、もうひとつは「尖閣周辺海域が中国の影響下に置かれれば、台湾に脅威が及ぶのみならず米国との衝突の可能性が高まることもあり、米国の戦略にとって重要だ」というものです。日本の利益は、後者の米国の見方を後押しすることで、日本側から中国を挑発すれば、米国内の見方は前者に傾き、日本にとっての死活的な利益が最終的に中国側に取り有利なものになりかねません。
三つ目は「意図せぬメッセージを与えないようなシステムを作ること」
偶発的な衝突が起こらないように気を配ることももちろん大切なのですが、起きてしまった時にお互いの損害が少なくなるようにすることも大事です。海上保安庁の機関砲は20ミリと40ミリのものなのですが、自民党が主張するように自衛隊の「ゆき」型練習艦を退役させて海上保安庁に供与するとなると、装備は一気に70ミリになります。そうなると、中国側の船舶も攻撃力を高めてくるはずで、そうなると万が一の場合の被害が甚大になります。万が一衝突が発生しても損害が少ないような仕組みを作っていくべきだと思います。