公債の残高は普通国債の残高が709兆円、地方債などを加えると1036兆円に達する[1]。日本のGDPは473兆円程度[2]なので対GDP比で2.16倍となり、他の先進国と比べても群を抜いて高い値となっている。
日本の財政再建は国際的にもIMFなど各方面から繰り返し要求求められており[3]、また日本国内でも黒田日銀総裁も必要性を指摘するなど圧力は強まっている[4]。その中で日本は財政運営戦略の中で「2015年度までの国・地方のプライマリーバランス赤字対GDP比を2010年度水準から半減、2020年度までに国・地方のプライマリーバランスを黒字化」を財政健全化目標として掲げる。
借金が返済されないと市場から評価されると国債が買われなくなり、返済できなくなるため、結果として財政破綻、国債価格の急落による銀行等の大損失、急激なインフレ、円安などが起き、大不況に陥るというような最悪のシナリオも考えられうる[5]。日本には金融資産の規模も大きく体力もあり、また国内投資家の占める割合が高いことなどから暴落は起きづらいとの指摘もあり、差し迫ったリスクかどうかには様々な議論があるが、この状況を放置すれば財政破綻の可能性が高まることは確かと考えられる。
社会保障支出が年1兆円増加する中で抜本的な改革が必要とされる。そのために消費税増税やそれに伴う社会保障と税の一体改革なども画策され、2015年度の半減の目標は達成されうるとされるが、2020年度の黒字化目標の達成には更なる収支改善が不可欠となっている。無駄削減も繰り返し主張されるが、民主党政権での事業仕分けによる削減が9692億円しかできなかったように[6]、達成するべき規模に比べて無駄削減で改善できる規模は不十分とされ、増税を受け入れるか、サービスの規模を縮小させるか、どのような社会を選び改革を進めるのかの議論を深める必要がある。
まず、日本が財政赤字を積み上げてきた歴史を概観する。1965年に初めて均衡予算が崩れて財政赤字が発生した。当初は均衡予算への回帰を志向する動きも強かったが、その後、一度も公債残高が減少することはなく順調に積みあげられ、特に90年代の不景気が続く中で積極的な財政出動を繰り返したことで、1990年の時点では166兆円だった国の公債が現在は709兆円と大きく増加し、年間24兆円増加するという驚異的なペースで増加している。
次に海外での動きについて見てみると、アメリカでは歳出強制削減が行われている。2011年に連邦債務の上限引き上げをめぐる財政協議の中で導入された制度で、基本的には財政の抜本改革が達成されなかった時の保険として導入された制度であり、実際の発動は予定されていなかった[8]。しかしながら高所得者を中心とした増税によって社会保障などを拡充しつつ財政健全化を目指す政府と大規模な支出の削減による財政健全化を目指す共和党はお互い譲らず、強制削減の発動や、暫定予算による運営を繰り返すなどという綱渡りな状況が続いている。大きな政府対小さな政府という対立はここでも見られるが日本と比べて両者とも真剣に財政赤字縮小に向けて取り組んでいることが伺える。
一方ヨーロッパではギリシャなどの南欧諸国が債務の悪化に立て続けに陥り、EUやIMFからの支援の条件として極めて厳しい財政健全化のための改革が求められてきた。結果として財政破綻に陥った国は存在しないが、国民にはサービスの低下など様々な負荷を強い、政権の不安定化などに繋がっている。最近ではキプロスの財政危機やポルトガルが8億ユーロの債務削減策をまとめるなど各国で財政危機が猛威を振るっている。
日本はこれらの国に比べてもGDP比での財政赤字の規模は大きく、比較的緩慢な動きが¥に対しては海外からも改革を求める声が多くなっており、2020年のプライマリーバランス黒字化の目標に向けて改革の手段の選択と着実な遂行が求められている。
みんなの党は消費税増税も反対し、公務員人件費削減など歳出削減による小さな政府の実現を目指す。維新の会も政党交付金削減や無駄な公共事業の復活阻止によって「スリムで機動的な政府」を目指すとする。自民党は消費税増税も賛成だが、無駄の削減や公務員人権費の削減などを中心に歳出を削減することを中心に主張する。
民主党は消費税増税とともに役割を終えた租税特別措置の廃止などを謳い、無駄削減も主張するものの上記三党とは一線を画す。公明党は「既存予算を抜本的に組み直す仕組みを徹底・強化」等を主張し、あまり立ち位置ははっきりはしないが、福祉を重視する姿勢は明確で小さな政府志向からは距離をとる。生活の党も「必要な財源は、特別会計の全面見直しをはじめとする政治改革、行財政改革、地域主権改革によって捻出する」と主張しており、小さな政府志向とは異なる。
共産党は社会保障の切り捨てに反対し、富裕層への応分の負担を求める。社民党も大企業・高所得者の応能負担による福祉の充実を主張する。