安倍内閣が掲げる教育再生の重要課題である教育委員会[1]は現在、各地域の首長から独立した5人で構成されている合議体である。現在自民党の提案により議論されている改革のポイントは2点あり、第1に委員会の代表である教育委員長を教育行政の責任者にすること、第2に首長が教育長の任免権を持つことである。[2]
教育長以外の委員は非常勤で、会議も月に数回程度しか開かれない実態を考えると、先日起きたようないじめや体罰など重大事案が起きた際迅速に対応ができていないというのだ。また、構成員も似たようなバックグラウンドの出身であるため実効的な議論がなされていないという指摘もなされている[3]。さらに、いじめ問題などにおいては一歩推し進めて責任の所在を首長に一元化することで、実効的な救済を行うべきという案もある。[4]
そもそも、教育は政治から独立するべきだという考えが根幹にある。教育委員会は戦時中の政治の教育への介入の反省から常に政治から距離を保ってきた。しかし、教育委員会の弱体化がなされると首長一人の個人的信条・価値観に基づいた任命が行われるため特定の価値観の植え付けの恐れがある[5]。例えば、近年議論になっている「愛国心教育」が民意とは裏腹になされる可能性も指摘されている。さらに、現状の制度は知事や市町村長が代わっても教育施策にぶれが生じにくいというメリットがある[6]。すなわち、首長によって方針が左右されるという現場での混乱を抑えることができる。
介入賛成派の主張はどういったものなのだろうか。まずは形骸化している委員会を迅速に動かすべきという問題意識が根底にあるとされている。いじめ問題にしろ、体罰にしろ教育委員会による対応の遅れは大きく非難された。コンセンサスが必要であることも対応を遅らせている大きな要因である。また、教育長は大抵教員経験者であり、教員から任命される教育委員会の職員を統制している以上しっかりとした監視制度が働いておらず汚職などにもつながっていると言う指摘もある[7]。これを国民の意思や多様なバックグラウンドによる監視下におくことで、迅速な対応が期待できるとされる。こうした理由から、教育委員会の構造自体が民意を反映しておらず、弱体化や廃止が必要だというロジックにつながるのである。
介入反対派の意見を理解するためにはまずそもそもなぜ教育の独立が主張されているのか考える必要がある。文部科学省の説明によると「個人の精神的な価値の形成を目指して行われる教育においては、その内容は、中立公正であることは極めて重要。(中略)個人的な価値判断や特定の党派的影響力から中立性を確保することが必要。」[8]としている。すなわち、信条の自由にもかかわる以上子供という今後の価値観を形成する立場にいる市民に「刷り込み」を行うことを避けたいのである。
そして次に安定性・維持性の確保という論点がある。「子どもの健全な成長発達のため、学習期間を通じて一貫した方針の下、安定的に行われることが必要」[9]という根拠があるのだ。また、教育による効果をはかるためには時間がかかるためより良い教育制度を検討するためにも一定の期間は同質の教育が必要ともされている。
では、他の意見はどのようなものがあるのだろうか。例えば、教育行政の徹底的な市場原理の導入という議論もある。これは、各学校の自律性を強化することによって親や子供の選択権を重視するという考え方である。首長や教育委員会ではなく、一番影響を受けるサービスの供給者・受給者間で決定を行うべきという思想が根底にある。他にも、教育委員会の委員を公選化することで民意と安定性のバランスを目指す考え方も主張されている。また、むしろ教育委員会の専門性を高めることこそが今求められているという指摘もある。
自民党は、首長には教育長の罷免権も付与することを提言の中にまとめている[10]。 日本維新の会は教育委員会を廃止すべきだと主張している。みんなの党は各自治体が教育に関して決めるべきだとしている
公明党、社民党は、教育委員会の機能強化を図るべきだとしている。日本共産党は全面的に政治権力の介入に反対している。新党改革も否定的な見解を示している。
民主党は「見直し」に留まっている。