食品安全基準は各国によって当然異なる。この基準は国が独自に決められる事項であり、国民の安全を守るために必要とされている値を設定する。日本は各国と比べて食品安全基準が高いことで知られている。
従って、国内でとどまっている分には問題ないが、他国の食品を輸入する際、食品基準が問題になってくる。他国の食品は当然その国の基準に従って作られているため、日本の基準を満たさない事がある。これらの商品は日本に入ってくることはない。しかしこの基準の違いは貿易を阻害する「非関税障壁」として非難されることがある。TPP加入の際も、この問題が一つの大きな焦点になる。TPPに入るためには加入国と統一した基準を作ることになり、日本が採用する基準は現在の基準よりも低くなる。食品安全基準をどのような形で国際的な基準との調和を図っていくか議論が続いている。
一方で食品基準が強化されている分野もある。福島第一原子力発電所での事件を受けての、放射性物質基準だ。厚生労働省は国民が一年間に「摂取」して良い量を5ミリシーベルトから、1ミリシーベルトに引き下げた。摂取許容量の80%の低下であるから、相当強い規制強化である。この結果食品の放射線の許容量は一般食品で500ベクレルから100ベクレルに、飲料水は200ベクレルから10ベクレルにまで引き下げられた。[1]
この強化により放射能物質によるリスクが減ることは間違いない。しかし基準が厳しければ良いというわけではなく、災害地の農業従事者が被る不利益も大きい。新基準の厳しさにより米やほうれん草など規制対象になっている商品が出荷できない人などが続出した。また厳しい基準は風評被害を助長すると指摘されており、基準を満たす食品に関しても売り上げが落ちているのが現状である。問屋から買取額を値下げされたという事例もある。[2]国民の安全を守るのと被災地の復興をどう両立して行くのかの模索は続いている。
日本とアメリカでは、食品安全基準に相当の違いが存在する。最も顕著な例は、残留農薬の基準である。残留農薬とは、その名の通り食品に残って良い農薬の量のことを指す。日本のじゃがいもの残留農薬の基準は0.05ppmであるのに対して、アメリカの同基準は50ppmと、実に1000倍の基準である。[3]
TPP擁護者は、食品安全基準は変更せずに貿易協定を結ぶことは可能だと主張する。食品安全全般に関わる国際的枠組みであるSPS協定は、科学的根拠がない基準値の設定を禁止している。裏を返せば、科学的根拠さえあれば高い基準値を設定できる。[4]
一方でTPP参加反対の者は、高い基準値を設定することが理論上可能であったとしても、その基準を守りきることが出来るかという点で懸念を示している。[5]例えば牛肉をめぐる食品安全基準の場合、日本はアメリカ産の牛肉からBSE(狂牛病)が発見されて以来、輸入を厳しく制限してきた。しかしアメリカは他の牛肉輸出国とともに、日本の輸入基準の緩和を要求、日本はこれに応じ徐々に基準を引き下げてきた。最新の緩和では、検査対象の牛の年齢を生後20カ月から30カ月に引き上げ、検査対象部位から脊髄と脊柱を除外した。[6]食品安全の観点からTPPに反対する者は、外圧が強過ぎれば基準は引き下げられてしまう事を心配している。
もう一つ懸念されている分野は、遺伝子組み換え食品の表示である。日本は遺伝子組み換え食品にその旨を明記することを義務付けているが、アメリカにはそのような義務が存在しない。遺伝子組み換え食品が人体に与える影響は未知数であり、市民からは不安の声もある。[7]
放射性物質の基準値の強化は、生産者よりも消費者を優先した結果だ。賛成者は放射性物質から消費者である日本国民を守るのは最重要の課題であり、基準の強化は当然だと主張する。これに対し反対者は、基準を強化しすぎた結果、被災地の農業従事者に大きな打撃を与えている点を挙げている。「汚染した土壌」の定義が広がり、作付けが全く出来なくなった農業従事者や、足元を見られる農業従事者が続出している。[8]
食品安全は全国民に関係する非常に重要な項目であり、その安全には一層の注意が必要である。しかしその安全の裏側には様々な事情がある。このトレードオフについて、一有権者として、一消費者として考えていかなければならない。
自民党は食品安全基準に関して、TPPでは日本の基準を保持するとしている一方、放射性物質に対しては生産者保護の視点からある一定の規制緩和を呼びかけている。
民主党は基準に対して特に言及せず、食品の産地がすぐ分かるような「トレーサビリティ」の強化に努めていくとしている。みんなの党は、TPPの食品安全はSPS協定で守りぬくとしている。
食品安全を守りぬけ無いとして、TPPへの参加を反対している。
公明党は、ヒアリングなどは行っているが、明確な立場は示していない。
日本維新の会、生活の党は言及していない。