2012年7月にロシアのメドベージェフ首相は国内視察と称して国後島に上陸し、ここで北方領土はロシアの領土の一部であり、誰にも渡さないと宣言した。また、ロシア政府は「クリル諸島社会経済発展計画」の予算を大幅に変更し、北方領土の経済開発に本格的に乗り出している。この開発計画は2007年に始まり総額約580億円を投入する計画だが、2011年から300億円近くの追加投入が決まっている。これを使い労働条件の改善やスポーツ施設の建設[1]などを行い、島から流出している住民を引きとどまらせる計画である。最終的に北方領土の人口を現在の19000人から1.5倍の30000人近くに増やす予定である。また、北方領土にはロシアの水産加工企業ギドロストロイがあり、業績も好調である。
但し、一部の専門家では人口の空洞化が指摘されているのも事実である。北方領土に住むと年金が本土に住むより二倍多くもらえるため公務員が住むことが多いが、任期が終わると帰ってしまう。若者の島離れも問題となっている。
しかし経済投資や、後述の貿易ルートの発見などで今後も活気付く可能性はあり、ロシアによる北方領土の実効支配は、継続するどころかさらに強まることも大いに考えられる。
地球温暖化により北極圏の氷が溶けており、この結果北極海を通りヨーロッパまで行ける新たな交易路が出来ている。現時点では氷が完璧に溶けている夏の2ヶ月間だけ開通しているが、近い将来年中使用可能になるとの意見もある。従来の航路では、治安に不安のあるマラッカ海峡などを通る他なかったが、この航路は海賊などが出ない上に、航行距離も従来の1/2になることから、より効率的にヨーロッパまで物資を運べるようになる。[2]ウラジオストックなどの港湾都市が栄えると同時に、北方領土近辺の海域管理が今後重要となってくると指摘される。
プーチン首相(当時)は領土問題に関して「引き分け」と発言しており、双方が受け入れ可能な解決策の必要性を唱えた。そのプーチンが再びロシアの大統領に就任したことにより、交渉の再スタートに向けての兆しが見えている。今年2月には森元総理大臣が安倍総理大臣の特使としてプーチン大統領と会談する[3]など、メドベージェフ政権時より交流が活発化している。
北方領土は第二次世界大戦の終盤で、ソ連が日ソ中立条約を破り占領した。占領は日本が降伏した後の8月28日から9月5日にかけて行われた。その後1956年の日ソ共同宣言では、ソ連が色丹島と歯舞諸島の引き渡しを約束した。しかし引き渡しは平和条約締結後とされており、今日までそれは実現されていない。
北方領土を領土問題として特に複雑化させているのは、そこに住民が住んでいるという点である。住民の多くはロシア国籍保持者であり、ロシア政府から福祉を提供され、ロシア語を話し、ロシア人としての自覚がある。ロシアの実効支配が続き、ロシア文化が根付くにつれて、日本が領有権を主張をすることは難しくなる。
また、北方領土問題は、尖閣諸島や竹島といった日本が抱えている他の領土問題と幾つかの点で異なる。第一に、北方領土を巡って日露両国はこれまで何度も交渉を繰り返している。1956年の日ソ共同宣言から、1991年の日ソ共同声明、1993年の東京宣言、1997年のクラスノヤルスク合意、1998年の川奈合意など、冷戦が終結してから度重なる交渉が行われている。また2001年には日ソ共同宣言を領土問題の出発点と確認したイルクーツク声明などがある。[4]第二に、その交渉の過程で両国から思い切った妥協案が提案されている。ロシアは1992年に歯舞島と色丹島を先に変換し、国後島と択捉島に関しては交渉を続けるという「二島先行返還」を提案している。日本側は北方四島の主権は日本にあるが、施政権をロシアに認めるという川奈提案がある。[5]
このように実際合意に達しそうな地点に何回かありながら、依然として進展がない理由として、日本内での立場の二分が挙げられる。北方領土を巡っては、歯舞島色丹島国後島択捉島の全ての返還を要求する「四島返還」の立場と、歯舞島と色丹島を先に変換する「二島先行返還」の二つの立場があり、この内部分裂により交渉が進展しなかった。また、ロシアでもメドベージェフが大統領となり強行外交政策をとり、一時期両国の関係が冷え込んだ時もあった。しかし2012年にプーチンが大統領の座に復帰し、これまでの領土問題の交渉について「引き分け」と述べ、日露両国の歩み寄りの必要性を説いた。安部政権もこの姿勢に親和的である。多くの障壁があるのは事実だが、北方領土問題が解決する日は、そう遠くないのかもしれない。
自民党は全力で交渉していく事を明示。共産党が最も過激であり、北方四島だけでなく、千島列島の返還も求めている。
これらの政党に特に差異はなく、皆経済協力、ビザ無し交流などを進めながら、着実に交渉を続けていくスタンスである。